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太田光 裏口入学裁判 一審勝訴に寄せて [@与太ガラス]

 2020年12月21日、太田光さんの裏口入学に関する裁判の判決が出ました。第一審は原告の太田さん側が勝訴、これに対し新潮社は控訴、太田さん側も控訴したそうです。第一審が結審したこのタイミングで、少しだけ私の思いを書いてみようと思います。


 あの記事が出たとき、カーボーイリスナーの多い私のTwitterタイムラインにはさまざまなツイートが流れました。


 そのほとんどは太田さんに好意的なもので、太田さんがんばれとか、私は信じていますとか、あんなフェイクニュースに屈するなとか、自分が愛するものを傷つけられたという思いが強く出た言葉が多かったように思います。その時点では、まだ太田さん本人の口からは、記事について何も語っていませんでした。


 私はこの動きに、少し違和感を覚えました。


 私も爆笑問題が大好きですし、大切なモノが傷つけられた時の憤りは理解できます。でも、それは普段から太田さんが言っていることと違うんじゃないか、という感じがありました。


 爆笑問題がネタにする元のほとんどは時事ネタで、芸能人のスキャンダルや政治家の不祥事、話題の人や流行のアニメなど、世の中のあらゆる事象を扱います。漫才のネタにする時、スキャンダルは滑稽に脚色され、過去の別のスキャンダルと絡められたり、フィクションの話にすり替えられたりして、笑いに変えられます。


 爆笑問題は毒舌だとか、過激だとか言われますが、私は彼らのネタは毒の衣に包んだ愛だと思っています。スキャンダルも不祥事も、本当はどうでもいいことで、いちいち目くじら立ててないでこっち来て笑おうよ、というニュアンスを感じます。


 最近の例で言えば、「不倫騒動?、大変だね、しばらくこっちで笑っとくから、落ち着いたらまた戻って来いよ」みたいな感じですかね。


 一方で、サンデージャポンのようなワイドショーテイストの番組、あるいはエッセイなどの文筆業では、太田さんは自分の意見を正面から伝えます。神田伯山曰く「ピカソ芸」です。コメンテーターの通り一遍の言葉ではなく、自分が考えて出した言葉を、番組の方向性と違っても、世の中の価値観とズレても、構わずに伝えます。


 これは私の感覚ですが、漫才にしてもコメントにしても、太田さんの言葉が響くのは、爆笑問題から「犯罪のニオイがしないから」だと思っています。私の好みもありますが、オラオラの感じや悪いことやってそうなイメージのお笑い芸人が好きではなくて、(田中さんの麻雀の話は置くとして)スキャンダラスなイメージがまったくない爆笑問題が、時事をくだらなく笑いに変えるところに担保というか、信頼があるように思うんです。


 それで、今回の裏口入学問題。爆笑問題に降りかかった初めてのスキャンダル(麻雀の話は置くとして)です。私が最初に耳にした時の正直な感想は「裏口?んーまあ、なくはないな」と「いや日芸で裏口?」ぐらいの感じでした。そこから先は、これを一体どうやって笑いに変えてくれるんだろう、というワクワクしかありませんでした。


 ここで最初に戻るんですが、私が抱いた違和感は、「爆笑問題のファンだったら、この程度の話を笑い飛ばせなくてどうする?」という思いだったんです。


 太田さんからのメッセージを真芯で受け止めれば、こんなときに怒りの感情で動くなんてバカバカしいと気付くはずです。だって裏口入学ですよ。他のタレントだったら大好物でしょ。太田さんだから許せないというのは、それこそ選民主義の狂信者です。


 その後の流れはみなさんご存知の通り。次のラジオで太田さんは鮮やかに笑いに変え(田中さんはたった一言でぶち壊しましたが)、タイタンライブ、サンジャポ、その他で「裏口入学」を武器に爆笑をかっさらいました。自分のスキャンダルさえ笑い飛ばす、真骨頂と言って良いんじゃないでしょうか。


 法廷に立った時にボケ倒したのは本当にさすがとしか言いようがありません。人前に出たら笑わせずにはいられない。この衝動を持っているだけでも才能だと思います。


 最後に、太田光が怖れるのは、ヒステリックな感情による人と人との分断です。新型コロナウイルスに対するコメントにもそれは表れています。彼はその分断を笑いという最も平和な手段で解決しようとする表現者のひとりです。私はこの尊い仕事を、笑いながら応援したいと思うのです。


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