日本語について考える 〜【煮詰まる】の意味を例に〜 [小噺・小ネタ]
唐突ですが、みなさんはこの例文を読んで、どうお感じになりますか。
「会議が始まって2時間が経ち、議論が煮詰まってきた。」
いまや使い古されたと言ってもいい、「煮詰まる」という言葉の意味の問題です。もちろんこの使い方自体が慣用表現で、元々の意味は「煮えて鍋の中の水気がなくなる」(『新明解国語辞典 第六版』)と説明されています。ただ、上の例文を見てこの意味を答える人はいないでしょう。
上の例文で私が正しいと思う意味は、「論点が出尽くして、問題が解決に向かってきた」という意味です。そしてこれが元々の意味から派生した慣用表現としては最初に出てきた意味だと思われます。ちなみに、手許にある辞書の範囲ですが、1969年に刷られた『岩波国語辞典』にはこの意味は書かれていませんでした。
ところが、現在では上の例文の意味として、「議論が行き詰まって、これ以上前に進まなくなった」と考える人が多くなっているようです。おそらく、「詰まる」の意味に引っぱられてこの意味が出てきたのでしょう。私は自分で調べるまで、この意味を誤用だと思っていました。
私がこの記事を書こうと思ったのは、NHKの放送の中で「煮詰まる」を、最後の「行き詰まる」の意味で使っていたのを耳にしたからです。それまでにもテレビのトーク番組などでこの言葉を聞く度に、違うんじゃないかなぁと思っていたのですが、トークの中で口にしてしまうのは訂正しようがないので、仕方ないと半ばあきらめていました。
ですが、そのNHKの番組は子ども向け番組で、しかも「煮詰まる」が発せられたのはナレーションだったのです。私はこれを聴いたとき、おかしいと思うよりも先に、自分の認識が間違っているのかもしれないと思いました。なにせNHKがそう言うんですから(笑)
それで、さっそく辞書を繰ってみると、『広辞苑 第六版(電子辞書)』にはこのように出ていました。
3つ目の意味として「議論や考えなどがこれ以上発展せず、行きづまる。」と載っていたのです。ちなみに2003年刷りの『三省堂国語辞典 第五版』にも俗語として3の意味が載っていました。
正直、驚きました。日本語はこんなに早く進化するのか、と。言葉というのは常に変化しているわけで、平安の言葉が今使われないのと同じように、若者言葉がそれまでの言葉を駆逐するのは理の当然だと、それを否定するべきではないと、私もわかっているつもりです。おそらくこれから、3の意味で「煮詰まる」が使われることは増えるでしょう。
ただ、言葉の最も重要な機能は「相手に意図を伝えること」であるはずです。ある言葉を聞いたら、その言葉を知る誰もが共通の認識を得ることが言葉として機能する上での必要最低条件ではないかと、私は思うのです。その言葉が隠語である場合を除けば。
『広辞苑』にある「煮詰まる」の2と3の意味は、丸っきり正反対の意味を示しています。この二つの意味がどちらも正しいとされてしまったら、果たして最初の例文に対して万人の共通認識が形成できるのでしょうか。口で言う分には、その時の状況や話すときの表情、抑揚などで、どっちの意味か判断することができる場合も多いでしょう。
でも、何人かで会議をしていて、議論が快調に進み、もうすぐ結論が出るという段になって、誰かが一言「いやー、煮詰まってきましたね」と発言したとき、他の人はどう思うでしょうか。普段から3の意味で使っている人は「こいつ何言ってんの? もうすぐ結論出るじゃん」と思うかもしれません。2と3両方の意味を知っている人でも、どう捉えたものかとすぐに相づちは打てないでしょう。
つまり、言葉が共通認識を基にした伝達手段であると定義した場合、「煮詰まる」という言葉は、言わば「死に体」なのではないか、と私は思うのです。今の「死に体」という表現も、辞書には載っていない勝手に作った比喩ですが、要は「煮詰まる」という言葉は、もはや自立することができず、使われる度に解説を必要とする(実際は誰も解説なんてしませんが)言葉になりつつあるのではないでしょうか。
その割には、やたらと使用頻度が高い気がしますが…(笑)
国語学者でもないのに、屁理屈のような論を展開してしまいました。みなさんはどう思われるでしょうか。ご意見をお寄せください。
「会議が始まって2時間が経ち、議論が煮詰まってきた。」
いまや使い古されたと言ってもいい、「煮詰まる」という言葉の意味の問題です。もちろんこの使い方自体が慣用表現で、元々の意味は「煮えて鍋の中の水気がなくなる」(『新明解国語辞典 第六版』)と説明されています。ただ、上の例文を見てこの意味を答える人はいないでしょう。
上の例文で私が正しいと思う意味は、「論点が出尽くして、問題が解決に向かってきた」という意味です。そしてこれが元々の意味から派生した慣用表現としては最初に出てきた意味だと思われます。ちなみに、手許にある辞書の範囲ですが、1969年に刷られた『岩波国語辞典』にはこの意味は書かれていませんでした。
ところが、現在では上の例文の意味として、「議論が行き詰まって、これ以上前に進まなくなった」と考える人が多くなっているようです。おそらく、「詰まる」の意味に引っぱられてこの意味が出てきたのでしょう。私は自分で調べるまで、この意味を誤用だと思っていました。
私がこの記事を書こうと思ったのは、NHKの放送の中で「煮詰まる」を、最後の「行き詰まる」の意味で使っていたのを耳にしたからです。それまでにもテレビのトーク番組などでこの言葉を聞く度に、違うんじゃないかなぁと思っていたのですが、トークの中で口にしてしまうのは訂正しようがないので、仕方ないと半ばあきらめていました。
ですが、そのNHKの番組は子ども向け番組で、しかも「煮詰まる」が発せられたのはナレーションだったのです。私はこれを聴いたとき、おかしいと思うよりも先に、自分の認識が間違っているのかもしれないと思いました。なにせNHKがそう言うんですから(笑)
それで、さっそく辞書を繰ってみると、『広辞苑 第六版(電子辞書)』にはこのように出ていました。
煮詰まる 1.煮えて水分がなくなる。 2.議論や考えなどが出つくして結論を出す段階になる。「ようやく交渉がー・ってきた」 3.転じて、議論や考えなどがこれ以上発展せず、行きづまる。「頭がー・ってアイディアが浮かばない」 (『広辞苑 第六版』)
3つ目の意味として「議論や考えなどがこれ以上発展せず、行きづまる。」と載っていたのです。ちなみに2003年刷りの『三省堂国語辞典 第五版』にも俗語として3の意味が載っていました。
正直、驚きました。日本語はこんなに早く進化するのか、と。言葉というのは常に変化しているわけで、平安の言葉が今使われないのと同じように、若者言葉がそれまでの言葉を駆逐するのは理の当然だと、それを否定するべきではないと、私もわかっているつもりです。おそらくこれから、3の意味で「煮詰まる」が使われることは増えるでしょう。
ただ、言葉の最も重要な機能は「相手に意図を伝えること」であるはずです。ある言葉を聞いたら、その言葉を知る誰もが共通の認識を得ることが言葉として機能する上での必要最低条件ではないかと、私は思うのです。その言葉が隠語である場合を除けば。
『広辞苑』にある「煮詰まる」の2と3の意味は、丸っきり正反対の意味を示しています。この二つの意味がどちらも正しいとされてしまったら、果たして最初の例文に対して万人の共通認識が形成できるのでしょうか。口で言う分には、その時の状況や話すときの表情、抑揚などで、どっちの意味か判断することができる場合も多いでしょう。
でも、何人かで会議をしていて、議論が快調に進み、もうすぐ結論が出るという段になって、誰かが一言「いやー、煮詰まってきましたね」と発言したとき、他の人はどう思うでしょうか。普段から3の意味で使っている人は「こいつ何言ってんの? もうすぐ結論出るじゃん」と思うかもしれません。2と3両方の意味を知っている人でも、どう捉えたものかとすぐに相づちは打てないでしょう。
つまり、言葉が共通認識を基にした伝達手段であると定義した場合、「煮詰まる」という言葉は、言わば「死に体」なのではないか、と私は思うのです。今の「死に体」という表現も、辞書には載っていない勝手に作った比喩ですが、要は「煮詰まる」という言葉は、もはや自立することができず、使われる度に解説を必要とする(実際は誰も解説なんてしませんが)言葉になりつつあるのではないでしょうか。
その割には、やたらと使用頻度が高い気がしますが…(笑)
国語学者でもないのに、屁理屈のような論を展開してしまいました。みなさんはどう思われるでしょうか。ご意見をお寄せください。
私は45を越えるおやじですが、ずっと「3」の意味でとらえていました。「2」の意味は逆に新鮮でした。念のため周りのものたちにも確認しましたが、みな、「3」の意味にとらえていました。
「3」の意味でとらえられるのが一般では大多数だと思われますが、そうでもないのでしょうか。
by じゅん (2011-08-24 17:49)
じゅんさん、コメントありがとうございます。
私の感覚ですが、現代では「3」の意味で捉えている人が大半だと思います。
テレビやラジオで、ともすれば書籍の中でさえ、「3」の表現は違和感なく使われているのではないでしょうか。
やはり言葉は生き物で、辞書に載っているから正しいとか、載っていないから間違いとかではなく、巷間で使われて市民権を得た表現が広がっていくのだと思います。
むしろ「2」の意味の方が自然と淘汰されていくかもしれません。
by イソップ (2011-08-24 22:31)
遅くからのコメントで申し訳ありません。
ちょうど『煮詰まる』という意味について調べていたので、とても勉強になりました。
私自身(26歳)は、『煮詰まる』という意味を1・2の意味で捉えていました。
あるサイトで3の意味で使われていたので『誤用ではないか?』と指摘したところ、『古くから俗語として使われている』という返事がきたので驚きました。
今の人達は多くが3の意味で使っているのですね。
元の意味が忘れられていくのは少し寂しくもありますが、こうして多数に使われる方が一般化していくのだなぁと思いました。
言葉の変化は本当に早いですね。
長々と失礼いたしました。
by さき (2011-11-09 16:10)
さきさん、コメントありがとうございます。
私も、元の意味が忘れられるのは寂しいと感じます。
ただ、私も偉そうに書きましたが、クイズ番組を見たり、「日本語表現に関する調査」のニュースを見たりすると、自分がある表現を本来の意味と違う意味で理解しているということもよくあります。
どの意味が正しいではなく、話し相手と意思疎通ができる表現を使うことが大切なのかもしれません。
by イソップ (2011-11-10 12:04)
私は会社で、「構想が煮詰まってどうすればいいのか分からない」という表現をつかったところ、先輩に、『「煮詰まった」なら完成間近なんじゃないの?」と突っ込みをいただきました。
自分の中では「色々詰めすぎて原型がわからなくなった」的な意味で捉えていました。
逆の意味で伝わってしまう表現は意識して注意しないとだめですね。
(大阪弁で相手のことを、自分、己、と言うのと似てるかもしれません)
by リン (2013-01-10 11:38)
リンさん、コメントありがとうございます。
日本語の慣用表現は、実は説明してもらわないとわからない表現がたくさんあるのだと、最近考えています。
文字や語感のイメージに引っ張られて誤って理解することがとても多いようです。
でも「煮詰まる」の例もそうですが、人々の共通理解に「辞書が負ける」ということもあるのが言葉の面白いところです。そうやって言葉は変化していくんですね。
by イソップ (2013-01-16 23:57)